山口県の歴史

山口県は本州の西の端に位置し、古くから九州と中央とを結ぶ海上交通の要衝でした。早くから中国大陸や朝鮮半島とも交流があり、進んだ文化を受け入れてきました。

県内各地に無土器、縄文、弥生時代の遺跡が見られ、瀬戸内地方を中心に多くの古墳が点在しています。

奈良時代には東大寺大仏の鋳造に美祢市の長登銅山の銅が使用され、平安時代には東大寺再建のために山口市徳地の木材が使用されました。

また、山口県は、日本の歴史を大きく変える転換点の重要な舞台にもなりました。
平安時代、下関市で繰り広げられた源氏と平氏の戦い「壇ノ浦の戦い」は、貴族社会から武家社会への転換点になりました。

室町時代から戦国時代には、フランシスコ・サビエルや雪舟、戦乱の京都から逃れてきた公家や文化人が山口に滞在し、大内文化が花開きました。こうして山口市は「西の京」と呼ばれるまでに発展し、国内有数の都市として栄えました。

大内氏滅亡の後は毛利氏が勢力を広げましたが、「関ヶ原の戦い」で敗れた後は萩市へ城を構え、幕末までの260年間、藩政の中心地としました。

その後、長州藩には藩校明倫館をはじめ各地に多くの私塾や寺子屋ができました。
中でも吉田松陰が主宰する松下村塾は、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文といった多くの人材を輩出し、明治維新の原動力となり、近代国家の成立に重要な役割を果たしました。

今も変わらず往時の面影をたたえる多くの史跡とともに、先人たちから受け継いだ歴史や文化を豊かに残す山口県で、歴史浪漫を巡る旅をお楽しみください。

山口県の歴史事件簿

611 大内氏の始祖、琳聖太子が百済から来航する
周防と長門の2国に国府が置かれる
901 菅原道真が防府市に立ち寄る

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防府天満宮

1185 源氏と平氏が壇ノ浦で戦い平氏が滅びる(壇ノ浦の合戦)
1359頃 大内氏が防長2国を統一する
1461 雪舟が山口に来る
1550 フランシスコ・サビエルが山口に来てキリスト教を伝える
1551 陶晴賢が大内義隆を討つ
1557 大内義長自刃。毛利元就が防長2国を平定する
1600 毛利氏が関ヶ原の戦いに敗れ、防長2国の大名になる

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萩城跡

宮本武蔵と佐々木小次郎が巌流島で戦う(巌流島の決闘)

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巌流島

1857 吉田松陰が松下村塾を主宰する

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松下村塾

1863 藩の政治の中心地が萩から山口に移る

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藩庁門

長州藩、関門海峡で外国船を砲撃

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みもすそ川公園

長州ファイブがイギリスに密留学をする
高杉晋作が奇兵隊を結成する
三条実美ら七卿が山口へ下る

1864 池田屋事件で長州藩の吉田稔麿らが亡くなる
禁門の変で来嶋又兵衛・入江九一らが戦死。久坂玄瑞らが自刃
英米仏蘭の4カ国連合艦隊が下関に来襲
高杉晋作が功山寺で挙兵

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功山寺

1865 高杉晋作らが大田・絵堂の戦いに勝利し、藩論が倒幕となる
1866 木戸孝允が薩摩藩の西郷隆盛と長州・薩摩の連合を図る(薩長連合)
第二次長州征伐(四境戦争)で幕府軍を破る
1868 長州・薩摩藩の連合軍が幕府軍を破る
明治維新

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