幕末維新ゆかりの地

やまぐち幕末ISHIN祭 第一章 山口幕末維新塾

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山口・防府エリア

1.香山公園(香山墓所、露山堂、枕流亭)ー こうざんこうえん(こうざんぼしょ、ろざんどう、ちんりゅうてい) ー  山口市

香山墓所には、13代藩主毛利敬親夫妻、敬親の養子元徳夫妻、孫の元昭夫妻、さらに毛利本家歴代諸霊の墓などがあります。また、園内には、藩主敬親が藩庁を萩から山口へ移した際、敬親が茶事にことよせ、家来らと討幕の密議をこらした茶室露山堂、西郷隆盛、大久保利通らが訪れ、木戸孝允らと薩長連合の密議が行なわれていたと伝えられる枕流亭があります。

所在地
山口市香山町 香山公園内
問合せ先
山口市観光課 TEL:083-934-2810

2.山口御屋形跡、旧山口藩庁門ー やまぐちおやかたあと、きゅうやまぐちはんちょうもん ー  山口市

文久3年(1863)、藩主毛利敬親は幕末の有事に備え、藩庁を萩から山口に移し、元治元年(1864) 、山口御屋形(山口城)が竣工しました。ここは山に囲まれた天然の要害で、砲台や土塁、水濠を備えた近代的な西洋式城郭でした。正門であった藩庁門、堀、土塁が残されています。

所在地
山口市滝町1-1(山口県庁)
問合せ先
山口市観光課 TEL:083-934-2810

3.十朋亭ー じっぽうてい ー  山口市

代々醤油製造を業とする萬代家の離れ座敷。萬代家は、藩主毛利敬親が、萩から山口へ藩庁を移した際、藩の役人たちの宿泊所となっていました。当主の萬代利兵衛が志士の活動を援護したことから、桂小五郎、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、大村益次郎ら多くの維新の志士が訪れました。

所在地
山口市下竪小路112-1
問合せ先
大路ロビー TEL:083-920-9220

4.洞春寺ー とうしゅんじ ー  山口市

毛利元就の菩提寺。長州ファイブの1人であった井上馨を総督とする鴻城隊が、本陣を長寿寺からここ洞春寺(当時は常栄寺)へ移して駐屯しました。井上馨の分霊が祀られています。

所在地
山口市水の上町
問合せ先
山口市観光課 TEL:083-934-2810

5.山口市菜香亭、野田神社ー やまぐちしさいこうてい、のだじんじゃ ー  山口市

山口市菜香亭では、木戸孝允、井上馨、伊藤博文らの扁額を公開しています。また、隣接する野田神社は、明治維新の元勲毛利敬親を祭神とし、敬親の子毛利元徳を配祀神としています。

所在地
山口市天花1丁目2-7
問合せ先
山口市観光課 TEL:083-934-2810

6.井上馨遭難の碑ー いのうえかおるそうなんのひ ー  山口市

元治元年(1864)、藩主の前で開かれた会議で、恭順派と争い武備を整えて幕府に対すべきだと主張した井上馨は、湯田の自宅への帰路、ここ中園町袖解橋で、藩庁の反対勢力に襲われ重傷を負いましたが、医者所郁太郎によって一命をとりとめました。

所在地
山口市中園町
問合せ先
山口市観光課 TEL:083-934-2810

7.木戸神社、木戸孝允旧邸跡ー きどじんじゃ、きどたかよしきゅうていあと ー  山口市

維新の三傑木戸孝允は、山口の木戸家の旧宅・田畑・山林を地元に寄付し、師弟の学資に充当するよう遺言、これに 感謝した住民たちが社を建立し御霊を祀ったといわれています。境内には、額束を3つ持つ珍しい鳥居が建てられています。神社の先は旧邸跡で、木戸は慶応年間にここに本邸を新築し山口藩庁政治堂に通っていました。

所在地
山口市糸米2-9
問合せ先
山口市観光課 TEL:083-934-2810

8.井上公園ー いのうえこうえん ー  山口市

湯田温泉中心部のこの地は、長州ファイブの1人で明治の元勲井上馨の生家があったところで、幕末の政変で都をおわれた三条実美ら七卿の宿舎にもなっていました。 公園内には井上馨の銅像や、七卿の碑などがあります。 足湯も整備されています。

所在地
山口市湯田温泉2-5
問合せ先
山口市観光課 TEL:083-934-2810

9.周布政之助の碑ー すふまさのすけのひ ー  山口市

長州藩の重臣として幕末の動乱期に奔走し、藩政に尽くした周布政之助は、藩政の主導権を幕府の考え方に従おうとする俗論等に奪われた責任を取り、自刃しました。その場所の近くに功績を伝える碑が建っています。

所在地
山口市周布町
問合せ先
山口市観光課 TEL:083-934-2810

10.大村益次郎の墓、大村神社、鋳銭司郷土館ー おおむらますじろうのはか、おおむらじんじゃ、すぜんじきょうどかん ー  山口市

大村益次郎の出身地である山口市鋳銭司地区には、益次郎夫婦の墓、益次郎を祀る大村神社があります。すぐ近くの 鋳銭司郷土館では、自筆の木戸孝允宛の手紙や作戦図、愛用の洋書など、益次郎の遺品や遺墨などが展示されています。 鋳銭司は地名どおり平安時代貨幣を作る役所が置かれた地で、周防鋳銭司跡から出土した遺物や日本の貨幣の変遷を紹介しています。

所在地
山口市鋳銭司
問合せ先
山口市観光課 TEL:083-934-2810
鋳銭司郷土館 TEL:083-986-2368

11.楫取素彦夫妻の墓ー かとりもとひこふさいのはか ー  防府市

幕末、萩藩主毛利敬親公の側近として活躍した楫取素彦は、群馬県の初代県令や明治天皇皇女である貞宮多喜子内親王の養育主任などを歴任し、晩年は防府市の三田尻に居を構えました。楫取の墓と吉田松陰の実妹である妻美和子の墓が並んで建てられてます。

所在地
防府市桑山1丁目5-10
問合せ先
大楽寺 TEL:0835-22-3986

12.旧毛利家本邸ー きゅうもうりけほんてい ー  防府市

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旧萩藩主毛利氏により、大正5年(1916)に建てられたもので、邸宅は総ヒノキ造りの壮大な建築。庭園は、ひょうたん池を巡る回遊式で、四季折々の景観が楽しめます。現在は毛利博物館として、毛利元就ゆかりの品をはじめ、国宝や重要文化財を含む約2万点の宝物を所蔵、展示しています。

所在地
防府市多々良1丁目15-1
問合せ先
毛利博物館 TEL:0835-22-0001

13.英雲荘(三田尻御茶屋)ー えいうんそう(みたじりおちゃや) ー  防府市

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日本海側の萩と瀬戸内側の防府を結ぶ萩往還の終点。承応3年(1654)、2代藩主毛利綱広によって設置された藩の公館で、藩主の参勤交代や領内巡視時の休憩、迎賓に使用されました。幕末には京都の政変の難を逃れた三条実美などの七卿をはじめ、志士達が出入りする歴史の舞台ともなりました。

所在地
防府市お茶屋町10番21号
問合せ先
英雲荘 TEL:0835-23-7276

14.三田尻御舟倉跡ー みたじりおふなぐらあと ー  防府市

毛利水軍の本拠地で、藩主の参勤交代や平時の交通、不慮の水戦に備え藩主の御座船や軍船などが繋がれており、萩城に通じる海上の表玄関として栄えました。慶応3年(1867)、楫取素彦が倒幕のため諸隊参謀としてここから出帆し、西宮に着陣しています。現在では通堀、これに通じる船入水路が残っています。

所在地
防府市三田尻3丁目
問合せ先
防府市教育委員会文化財課 TEL:0835-25-2237

15.防府天満宮大専坊跡ー ほうふてんまんぐうだいせんぼうあと ー  防府市

禁門の変敗北後、藩主毛利敬親が支藩主や重臣たちと今後の対応を話し合ったり、この地を警護する諸隊の屯所として使われていました。
伊藤博文が9歳の頃、防府天満宮の社坊のひとつ大専坊の住職だった親戚を頼り、そこで学んだと記されています(「藤候実歴」)。明治維新での神仏分離政策により、寺院としての機能は失われていますが、伊藤が過ごした当時の建物は現在でも防府天満宮参道脇に残っています。

所在地
防府市松崎町14-1防府天満宮内
問合せ先
防府天満宮 TEL:0835-23-7700

16.防府天満宮暁天楼ー ほうふてんまんぐうぎょうてんろう ー  防府市

もとは宮市にあった旅館の離れで、一階が漬物置き場、二階が隠れ屋敷となっていたものです。幕末には高杉晋作らの維新の志士が滞在したといわれ、彼らが墨で文字を書いたと言われる戸袋が残っています。現在は、天満宮茶室芳松庵の境内に復元されています。

所在地
防府市松崎町14-1防府天満宮芳松庵内
問合せ先
防府天満宮 TEL:0835-23-7700

17.野村望東尼の墓ー のむらぼうとうにのはか ー  防府市

高杉晋作を看取ったことで知られる幕末の勤皇歌人野村望東尼は、高杉の死後、楫取素彦により下関から山口へ移り、防府へ。東上軍の必勝祈願のため防府天満宮へ日参した後、病気のため三田尻で亡くなりました。この墓は、昭憲皇太后御下賜金を下に、楫取素彦によって建てられたものです。

所在地
防府市桑山1丁目 桑山公園南麓
問合せ先
防府市教育委員会文化財課 TEL:0835-25-2237

18.大和屋政助の船蔵ー やまとやまさすけのふなぐら ー  防府市

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古くからの漁港であった富海では、大型漁船が近海への貨物輸送をしており、安永の頃には漁船が発展して飛船となり、大阪への往来や瀬戸内各所を行き来しました。飛船問屋の大和屋政助は、大和挙兵に失敗した中山忠光卿を大阪から飛船で連れ帰り匿ったのをはじめ、保守派に追われた高杉晋作を飛船で下関まで送ったといわれています。

所在地
防府市大字富海
問合せ先
富海史談会事務局(富海公民館内) TEL:0835-34-0034

19.萩往還ー はぎおうかん ー  萩市、山口市、防府市

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萩往還は毛利氏が慶長9年(1604)萩城築城後、江戸への参勤交代での「御成道(おなりみち)」として開かれました。山陰と山陽を結ぶ「陰陽連絡道」として、幕末には維新の志士たちが往来し、歴史上重要な役割を果たしました。山間部には当時の情景を偲ばせる石畳が整備され、街道筋の随所に史跡が残っています。

所在地
萩市唐樋札場跡~防府市三田尻
問合せ先
萩市観光課 TEL:0838-25-3139
山口市観光課 TEL:083-934-2810
防府市おもてなし観光課 TEL:0835-25-4547

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